千里の道も一歩から

日々徒然。

ジンジャーエールと秋の風

朝起きたとき、珍しく寝苦しくなかった。

どうしてだろうと思っていたが、今日はここ最近と比べて妙に涼しい、むしろすこし肌寒いなとどということを、夜の坂道を下りながらぼんやりと考える。先週までは茹だるような暑さだったのに、虫の鳴き声を聞きながらすぐそこまで秋が来ていたことに、はじめて気づいた。

帰るまでの道すがら、駅ビルの食品売り場に寄った。ウィルキンソンジンジャーエールと、好奇心につられてパクチーラーメンなるものを購入。一体どんな味なのだろう。

夕飯を食べるために寄った定食屋で、絲山秋子の『ニート』を読む。5つの短編からなる短編集で、表題作の『ニート』は、ざっくり言うと、困窮している男に女が金を渡す話だ。『2+1』がその後日談。他に『ベル・エポック』『へたれ』『愛なんかいらねー』が収録されている。私はこの作者の作品を読んだことがなかったため、タイトルから勝手に退廃的な雰囲気の文章を想像していた。

結果、裏切られたというほどではないが、予想していたものとは、なんか違った。想像の斜め上を行かれた感じ、といえば近いだろうか。
ニート』は、たった17ページの短編だ。後日談の『2+1』は40ページ。合わせて60ページに満たないこの作品は、なんでか不思議な力強さと静けさに満ちていた。
そこまで特異な出来事が書かれているかと言われたら微妙だ。ありそうだけど、なさそう。
ここに出てくるキミは、ライフラインがいつもぎりぎりで、やばいとこになるまで行動できない。公共料金や電話の未払い金は溜まるし、食べるものも十分ではない。金銭面でも確かに困窮しているが、精神面ではとっくにレッドゾーンを振りきっていて、いまだ回復しているとは言い難い。肉体はどうにか回復していても。

キミは、どうにか生活している。いや、どうにか生きのびている、と言ったほうがいいかもしれない。きっと、日々を生きのびるのに精一杯なのだろう、と感じる。キミは、本当はさみしくて仕方がない。甘えたくて仕方がない。けれどそんなことはできなくて、窮地に陥るのだ。他者に甘えることへの抵抗、罪悪感、それらを捨てることができなくて。そして何より、それらを上回る何もしたくないという強烈な感情のために。

キミは、いつかこの地獄のような無限ループから抜け出すことが出来るだろうか。同じようなどん底を、何度も繰り返して。

そうして行き着く先は、一体どこだというのだろう。
何もかもがどうでもいいキミは、最期の時、一体どんなことを考えるのだろう。

人間のもつ寂しさと孤独を見事なまでに描いていて、それでも、「もうどうしようもない」みたいな悲壮感がない。単純に、すごいなあと思った。


寝る前に飲んだジンジャーエールは、帰宅してから冷蔵庫に入れたせいかかすかにぬるくて、そのぬるさに、夏が終わることを実感した。