千里の道も一歩から

日々徒然。

家を片づける vol.1――『理想の暮らし』がわからない

最近、家にモノが増えている。特に書籍。

もともと、我が家にモノは多かった。が、この頃さすがにまずい、と思っている。なにせ掃除が異様に面倒なのだ。いい加減にどうにかしたい。

 

以前、近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』という本を読んで片づけに挑戦してみたことがある。

結果、途中で見事に挫折してしまった。(少なくとも、半年以内に片づけを終わらせることはできなかった。)

 

途中で挫折した原因は、自分の中でなんとなく分かっている範囲では、主に2つある。

①理想の暮らしが、うまくイメージできない。

②“ときめく”感覚が、モノにもよるが理解できない。

 

私は、まずこの一番最初の『理想の暮らしをイメージする』でものの見事につまずいた。

『理想の暮らしは?』と言われても、『そんなものは考えたことがない』というのが本音だった。そもそも、暮らしには理想がある、という発想がなかった。

シャーペン片手にノートの前に陣取って考えてもさっぱり思いつかなかったため、インテリアの雑誌を買った。端からぱらぱら眺めても、いまいちしっくりくるような写真や部屋の内装は見当たらなかった。

理想の暮らしなので、時間の使い方という点でも考えてみたが、その当時、考えれば考えるほど、「それは私が本当にやりたいことなんだろうか」という問いにぶつかり、途中で考えたくなくなってしまった。

 

この、「今やろうとしていることは、本当に私がやりたいことなんだろうか」という問いは、別のところでもぶつかっていた。「やってみたい」と思ったことが、「これが自分が本当にやりたいこと」だという確信のようなものがない、という感覚だろうか。

この「やってみたいこと」はこれまでやったことがないことだったりするため、「本当にやりたい」のかどうかが判断しようがない、という側面もある。

そして考えるほどに、「むしろ何もしたくない」という感覚が湧き上がってくることさえある。

この当時、そして現在でもそうだが、自分の暮らしについて考えることは、半分現実逃避であり、半分現実に向き合う行為であった。だから、これは私にとってなかなかしんどいことでもあった。「空っぽ」で、そして弱さや痛みを抱えた自分そのものと向き合うことに等しいから。

結果、考えることに辟易した私は、理想の暮らしをイメージできないまま、とりあえず片づけはじめてしまった。

 

衣類は、ほんとうになんとくなく“ときめく”“ときめかない”で分けて捨てた。

そして、次の書籍が難関だった。書籍に“ときめく”感覚を、何で判断すればいいのかわからなかったのだ。

本の中身なのか、装丁なのか、それとも値段か。小説と漫画が多いけれど、“おもしろい”にも種類がある。単行本はともかく、シリーズものの漫画などは本当にお手上げだった。

そのときは、かろうじて「もう手元に置いておかなくていいかなぁ」と思ったものを“ときめかない”と判断して、それだけ売ったり捨てたりした。

 

そして現在、我が家の蔵書はちゃくちゃくと増えている。

どうしたものかと思っている。

 

長くなりそうなので、次回にまわそうと思う。